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光風6


 

 

お世話になって一週間。これといって何もしなくても、簡単に月日は去っていくものだ。
ぼんやりと毎日を過ごすマヤとは違い、鷹久は忙しいらしく、恋に仕事に飛び回っているようだ。

この日の朝、久しぶりに顔をあわせたのだが、鷹久は初っ端から妙にテンションが高かった。

「打倒!天誅!覚悟じゃ、けんたろう!」

「は?なんです?それ」

「だからさ、大都のほら、なんてったっけ?あの社長…速水けんたろうとかいう」
「違いますよ…名前」

「坊ちゃま、かなり昔の歌のお兄さんのお名前でございます。分かる方もあまりいらっしゃらないのでは…あ、じゃあもこみちか?なぞとおっしゃるのはナシで」「いや、とにかくさ、その速水の奴の爺さんのほうがきったない手使ってくるんだわー」

鷹久は、あははははー!と愉快そうに笑って空を仰いで両手を挙げる。

「だからーちょっとぺしゃんこにしてやってぎゃふんといわせちゃおうかなって、考えてマスっ☆」

ギャグのつもりなのかなんなのか、言うことがどうにも…寒過ぎる。

「…あの、あなたの所のお坊ちゃん、妄想癖があるんですか?」

「何をおっしゃいます!北島様!全部、本当のことですよ!丁度宜しかったのではないですか!強いてはあなた様をこっぴどくフッた速水にぎゃふんぎゃふーんと言わせることができるのですぞ。これも何かの縁なのでしょうなあ」

「……ぎゃ、ぎゃふんぎゃふーん?」

「ざまーみろー!!北島も一緒にばんざいしていーぞっ、せーのっばんざーいばんざーい」

掴めない…この人達の性格が掴めないわ…

「上機嫌なところすみません、そんなことより、ちょっと、足を押さえていてもらえませんか」

「ん?何?ストレッチ?」

「筋トレ、ずっと稽古前にするの日課にしていたから、やらないと落ち着かなくて…」

「へー、ここを押さえてればいい?回数も数えてあげようか?」

「それはやらなくていいです」

せっせと腹筋をはじめるマヤ。足を押さえていた鷹久は感心した様子でそれを眺める。

「偉いねー継続は力なりっていうよねー努力あっての幸福ってやつだよねー。そんなわけで…思うんだけどさ、北島?」

「はい?」

「もう一度、速水真澄にアタックしてみたら?」



「なっ…?!」

体勢を崩して、ごっ、と勢い良く後頭部を打ち付けてしまったマヤを、鷹久は飄々とした顔つきで見下ろす。

「何言ってるんですか!ぜったい、嫌です。やっと少し傷がふさがってきてるのに、わざわざまた自分でそれを抉るような事、もうしたくないですっ」

「だけど…前とは状況が違うんだぜ?鷹宮の婚約者様は、きっと速水真澄と結婚なんてしないよ、婚約破棄すると思う」

「何を根拠に!だいたい、婚約なんて関係ないですから!最初から、無理だって分かってたんです!だから、もういいの!」

「ふーん?北島がいんならいーけどさ…でもーなんかそれってさー」

「いいんです…!速水さんが私なんか相手にするわけないって…わかってたもん…」

「え…?あっ!わあっ、ごめんごめん!泣かないで!傷つけるつもりじゃなかったんだ!」

 慌てた鷹久にぎゅうっとハグされて、マヤの涙が驚きで止まる。

「俺ってホント、駄目な奴だよなあ。女の子一人励ますことも出来ないなんて」

ほんと、ゴメン。と言いながら腕を緩めて、マヤの頭を軽く撫でる。
マヤは珍しいものを見る目で彼を見た。

自嘲気味に頬を歪め、自己嫌悪に瞳を翳らせている彼を、マヤは初めて見る。
いつものユルい感じの彼からは、思いもよらなかった。

「…俺、本当は何をやらせても駄目な人間なんだ」

表情のわりには、あまり意外性の無いカミングアウトだ。

それはまあ、なんとなくわかる気がするんだけど…?

「まあ、なんとかこなしているんだけどね。最初のうちは…目もあてられない有り様だった。プライドばっかり高くて、そのくせ無能だったから。イヤってほどそれを思い知らされたとき、俺は絶望したよ。俺の住んできた世界はなんて小さかったのかと」

「…」

それでも自分の世界と比べたらはるかに大きいだろう、とマヤは思う。
鷹久が自らを卑下するのを意外に感じながら、話の先を促すように彼を見つめる。

「だけどさ、オレは父さん達が残してくれたこの会社を継がなければ…絶対に潰す訳にはいかなかったんだ。必死でここまでやってこれたのも、爺が居てくれたから…」

「爺やさん…すごく、信頼なさってるんですね」

「うん、ジジコンってよく言われたよ。一人では何も決められなかったし。みんな爺やに決めてもらっていたと言っても過言じゃなかったし」

物覚えも悪く、常に落ち着きが無いから、スマートさも身につけられない。短絡的で目先ばかりに捕らわれ、先を見通す考え方もできない。経営者に向いているとは到底言えなかった。

背も高いし、顔もまあまあ。何と言ってもこの財力。
だから女にはよくモテた。だけど、それだけだ。

自分には、何も価値が無い。
それを自分なりにうまく隠して生きてきたつもりだった。

…けれども。

『あなたには、誇れるものが何も無い』

それを言われたとき、眼前が真っ白になったような衝撃を受けた。
本気で惚れた女性を見つけたと思った瞬間。それと同時に絶望したのだ。
こんな自分が、あんなに気高く美しい彼女に想いを伝えられるはずもないのに、身の程知らずな事を言った。
本当は能無しで、周囲の支えが無ければ何も出来ない無能な男だ。

「君も頼りない男だと思うだろ…君が好きだった速水真澄とは正反対だ…毎日いっぱいいっぱいの状態で駆け回ってやっとのことで自分を保ってる」

「そんなことないじゃないですか。大きな会社を動かしているんですから、あなたにはちゃんとその能力があったってことでしょう?こうしてご家族が残した場所を守り続けているじゃないですか!」

「俺の力じゃないさ。お飾りみたいなもので、誰にでも出来る」

「飾りで社長なんかできませんっ。じゃあ例えば…私が引き継いだって想像してみるといいです!そしたらあなたの会社がどうなっちゃうか…」

「君が…?はははは、確かにー!なんか、あっという間に倒産してく様が見えるよーーー!」

「(むっ)そっ、そうですよっ、だから、誰でも出来るなんて言わないで下さい。それにあなたほど人に好かれてる人間はそんなにいないと思いますよ」

なんか釈然としないけど、まあいいや。
笑い転げている鷹久に、マヤはほんのり温かな気持ちになる。

「楽しいし優しいし少なくとも私はあなたのこと好きですから」

何気なく「好き」という言葉を口にしたとたん、あの日の告白が頭を過ぎって、マヤはキリキリと締め上げるような苦しみに胸を苛まれた。

気が付くと、彼が笑うのを止めてこちらを見ている。
マヤははたと自分が口にした内容に気が付いた。

「あっ…?いえ、そういう意味じゃなくてあの、だからその、元気だして欲しい、ってことですよ。へ、変な誤解のないように言っておきますけど」

「うん、わかってるよ。…ありがとう、北島」

「…いいえ、どういたしまして」

二人で、ふっと笑いあう。なんとなく、傷を舐めあっている同士、繋がりができたようで、一緒に話をしているのが心地よく感じる。

「ねぇ…速水真澄のことなんだけどさ、俺やっぱり」



「おおや!?これはまずいですな、坊ちゃま!」


「へっ?何が?突然何なんだよ、爺」

「ちょっとばかり、むらむらなさってしまったわけですな?」

「そう、ムラムラと…って違う!何を言ってんだよ爺…今、大切な話を」

「ん、むらむらって何の話ですか?」

「実は…鷹久さまが北島さまにですな」

「違ーう!違うって」

「ですが、坊ちゃま!北島様は恋に破れて傷心の身。望みは大でございますよ!今が恋の勝者になるチャンス!爺やは応援いたしますぞ!」

「え、何の応援です?」

「ああ、爺やは君の演技の応援を」

「いいえ!ごまかしたりなさいますな!北島様への恋慕の、でございますよ!」

「…何言ってんだか爺…」

「れんぼ?って恋慕?鷹久さんが私を?またぁー有るわけ無いじゃないですかーそんなの。あんなに引く手数多なのに私になんて!」

「ふむ。そうでございましたね、北島様は豆だぬき、ぼっちゃまとはとてもとても釣り合うはずもございません。いや、具にもつかぬ事を申しました」

「あははははは、爺やさんたら面白いなあ!」


明らかに馬鹿にされているのに笑うマヤが、ひどく不自然に感じて、鷹久はその横顔を窺う。

「あ、筋トレ付き合ってれてありがとうございました。私、部屋に戻りますね」

どうやらこれ以上話をしたくなくて、どんな話題でも、笑って誤魔化してでも、切り上げたかったようだ。

よっぽど速水真澄に関する話をしたくないのだろう。鷹久は、その後ろ姿を黙って見送った。

「ああ…!もう!すがり付いてくる彼女がかわいくて、目が合った瞬間、ぎゅうとこの腕に力を込めその小さく柔らかな身へ思うがままに自分を刻みこんでしまいたい…そうして誰の手にも彼女を渡したくはない…!!

…という衝動が坊ちゃまの身体を貫きその身を熱く焦がしたのでございました…ですが彼女はそれを知る由もなかったのでございます…」

「じーいーやー…」

「ああ坊ちゃま!おいたわしゅうございます!」

「分かった…爺やは北島が気に入っているんだな…それはよく分かったよ、だからって俺と彼女を取り持つような真似はしないでくれないか」

「ですが坊ちゃま。その熱情をどうなさるおつもりで」

「ジジイ…ふざけるのもいい加減にしろ…?今度彼女の前で今のような事を言ってみろ、即刻クビにしてやる」

「なんと!坊ちゃま…!爺と引き換えにしてもいい程にそこまで…彼女の事を…!わかりました…ご本気でいらっしゃるのですね。爺やは坊ちゃまの恋路を見守ってゆきます…今後は隠密に手回しをいたしますのでご安心を」

「わかってないじゃないか…そうじゃなくて!」

鷹久にぎゅうぎゅうと襟首を締め上げられながら、爺やは深く頷いた。

「存じておりますよ。あのお方とのお約束なのでございましょう。心得ております」

「そうだよ!俺の、起死回生がかかってるんだ!ここは何が何でも、北島マヤを…」

 速水真澄と、くっつけるんだ!

 

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