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冷え切った空気に吐く息がわずかに白い。
幾年月を重ねたのか判らない古い造りの家屋内では
隙間風もひどく、おそらく外気とさほど気温は変わらないだろう。
時折はぜるような音を発しながら温かさを齎していたストーブは、
すでに薪も燃え尽きてシンと静まり返り、今は冷えた鉄の塊でしかない。
起き上がったマヤは、温かさから離れて身震いをする。
それに気付いた真澄が、ゆっくりと身を起こした。
マヤに着せてやった自分のトレンチコートの襟刳りを直してやりながら、
そこに居るのを確かめるようにじっと彼女を見つめた。
「―――昨日のことを、気にしているのか」
マヤはゆるゆると首を振ると、瞳でひたと真澄を見据えた。
「いいえ、嬉しかったんです、私…ずっとあなたとこうしたいと思っていたから…」
「ずっと?そんなふうには、見えなかったな…君は俺を嫌っているのかとばかり思っていた」
「…叶わないと思ってたんです。速水さんには、紫織さんがいるから」
彼は「すまない」と言って顔を背けた。
瞼を閉じ、眉を寄せるその横顔に浮かぶのは苦悩の色であったが、
そんな真澄を見ても、マヤの胸に後悔の気持ちが湧いて来る様なことは無かった。
彼に縋りついて涙を零すのは、同情を請うようでたまらなく惨めな気持ちになるかと思っていたのに、マヤの心は願いを受け入れてもらえた歓びで圧倒的に満たされていたのだった。
「謝る必要なんてないです。速水さんが憂慮するようなことはなんにもないんですから。
我が侭聞いてくれて、ありがとうございました…」
マヤはストーブ脇の椅子に掛けておいた、まだ湿り気のある自分の服を身に着け始めた。
素肌に冷たさが染み入るのも感じないふうに手早く衣服を着終えると、真澄を振り向いてにこりとした。
「ここでの事は、無かったこととして…現実ではない、夢の中の事だったと、思って下さっていいんです…どうか、忘れて下さい」
真澄は床の上からコートを拾い上げ、服を着た上からもう一度掛けてやりながら
マヤの体に温かさを分ける様にして胸元へと包み込む。
ひんやりとしたシャツも、触れ合った場所だけが温かくなる。
「しかし…俺は…」
打ち震えた声音で真澄が言葉を紡ごうとするのを、マヤはそっと押し留めた。
その温かな唇の感触がひどく切ない。
けれども、触れることができる今この瞬間をとても幸福に感じる。
私の前に速水さんがいる…私の気持ちを知っていても、こうして触れさせてくれる。
優しい瞳を向けてくれる。
それだけで、こんなに満たされるなんて思ってもみなかった。
「速水さん。紫織さんと、お幸せに…」
わたしは、ずっと忘れない。
あなたを、どれだけ、愛していたか、あなたは、分からないままでいい。
この世の何より美しく、いとおしかったあなたを、ずっと、ずっと覚えている――――
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