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千紫2









「北島マヤ」という女優を僕は理解することができない。

女性というものは、そんなに急に変われるものだろうか。
会うごとに話し方も表情も仕草も留まる事無く変わっていくのが、とてももどかしくてならない。

僕の知らない君に、これ以上変わらないでおくれ…マヤちゃん…

そう願うのに、彼女に伝えることは決してできない。
伝えれば、彼女は完全に僕の前からいなくなってしまうに違いないから。



「前祝に飲みに行かないか?」
稽古の後、言葉は違えど毎回決って酒宴に誘うのは黒沼だ。
彼の提案にあははは、と笑いながら数人のスタッフや共演者達が賛成と手を挙げるのもいつものとおりだった。

「もう…前祝も何も、まだ決まってないじゃないですかー」
「こういうのは祝ったもん勝ちの飲んだもんがちだ!それになあ、俺は絶対お前らに決定すると信じてる。いや確信してるんだからな!」
「そんな事言って、試演の舞台が終わってから毎日のように飲みに行ってるじゃないですか…」
「いいんだいいんだ、とりあえず飲めりゃー!」
「うおー行きましょうー!どうせ今夜は明日の発表が気になって寝れりゃしないんですからさー!」

盛り上がりを見せる黒沼一行を苦笑いで見ながら桜小路はマヤに訊ねた。

「マヤちゃん、どうする?君は帰るかい?」
「ううん、行くわ」
「そう?じゃあ、僕も少し付き合おうかな。明日に備えて早めに君を帰さないといけないからね。
 黒沼先生に付き合ってたら朝まで飲んだくれるだろうし、君が飲み過ぎないよう見張らないと」
「私、そんなに飲まないわ」
「いいや、君は飲みだしたら止まらないんだから。飲みすぎて二日酔いの酒臭い紅天女じゃ、
 イメージ悪くて審査員の気もかわっちゃうかもしれないだろ」
「ふふっ、お酒は飲まないってば。私お腹がぺこぺこだから、みんなが飲んでる中悪いけど
 一人で食べまくるつもりなんだから」
「誰かに進められたら飲むだろ。そこからが長いんだ、君は」
「大丈夫。飲まない」

きっぱりと言い切って視線を伏せるマヤ。桜小路は、口を噤んだ。
…まただ。
こんなふうに急に彼女の雰囲気ががらりと変わるのは、ここ最近そう珍しいことではなかった。
素っ気無い口調は不機嫌な為ではなく、他に何か思うことがあって言葉遣いまで気にかけていないという感じだ。
会話が続いているようでも、いつのまにか彼女は自分の内面と対峙していて、実の所それまでの相手と向きあって話をしていない。
そんな時の彼女はひどく大人びて見え、見知らぬ女性のようで桜小路はとてもやりきれなくなる。

僕の知っているマヤちゃんに戻って、僕を見て欲しい。
だけど、それはきっと君が掴んだ紅天女を手放させるのと、同じ事なんだろう…

彼女の変化は、演技にも如実に現れていた。
ある時を境にして、彼女は以前のような自分への躊躇いも無くなり、芯が通ったように確実な演技をするようになったのだ。数週間前には稽古中もどこかうわの空で阿古夜を表現できずにいた彼女が、突然水を得たかのように伸々と阿古夜を演じ始めた。
思い描いていた以上の彼女の阿古夜に、黒沼監督は空を舞いそうなくらいに上機嫌だったが、桜小路の心は穏やかではなかった。

彼女は、僕の知り得ない所で、何かを掴んだのだ。
僕はそれに乗じる形で、一真に成り切る。一真の葛藤や渇望はなお募っていく。
そうして彼女を変えたものが何であるかも訊ねられないまま試演を迎えたが
その出来栄えは監督にも自分達にも実に満足のいく最高の舞台となった。
試演の最中に感じたその総毛立つような高揚感は、かつての舞台の中で一度も感じた事がなかった。まるで当たり前のように、自分の肉体を超えて、精神と感情が舞台を形成していく。それが分ったのは演技を終えた後のことだった。

そこに居たのは、僕ではなく、間違いなく一真そのものだったのだ。

だからこそ明日は、必ず役を手中に収める自信がある。
なのに…どうして僕は、こんなに気持ちが落ち着かないのだろう…

飲み浮かれて興に入る黒沼達の中で、宣言通り黙々と食べ続けるマヤを、桜小路はグラスを傾けながら静かに見守った。









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