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千紫4




月影千草の演じた紅天女に魅せられた人々が、再び同じ感動を覚えたのは数日前の試演でのことだった。
月影の紅天女を知らない者も、その試演で一様に同じ気持ちを抱く。

彼女以外に、月影千草の次代を担う人物はいないだろう…と






会場は紅天女に携わる役者や各界の著名人そしてマスコミの記者陣が集まり熱気に包まれていた。
その日の主役を待ち焦がれている彼らの前に、小柄な女性が姿を現わすと、その思いがけない彼女の変容に会場内がざわめく。
髪を結い上げ、肩の開いたドレス。ウエストに程よく掛かるゆったりとしたドレープが体のラインを綺麗に見せている。滅多に見ることのない北島マヤの正装姿は、普段の彼女からは予測不可能なほどに別人に見えた。


亜弓はマヤの変貌に思わず手で口を覆った。
マヤの頬は試演の時の彼女よりも一層蒼白くやつれて見えたが、まるで今このとき限りに咲き誇る花のように儚げで美しかった。
同性の自分ですら、こんなにも心臓がどきどきと高鳴るのだから、間違いなく周囲の人間も魅了されているはずだ…


「マヤさん、綺麗になったわね……」
光彩を放つマヤの姿に魅入られ茫然としていた母は、私の言葉に答えられなかった。

「ママ?」
その腕に亜弓が手を触れると我に返って歌子は娘を見た。
自分を映したその眼に、敗北感が滲んでいるのを亜弓は見逃さなかった。

「いいのよ、ママ。私は、もう分かってるの。紅天女は、私じゃない」

マヤさんには、勝てない。
ここにいる誰もが北島マヤが紅天女を受け継ぐ瞬間を見るために集まっているのだ。
よく、分かっている。

試演の日、あの子の阿古夜を見た瞬間から、私の体から「阿古夜」は跡形もなく消えて無くなった。
私が感じていた「阿古夜」は、私が思い描いていただけの「私の中の阿古夜」に過ぎない。
誰もがあの子の紅天女を認めていたのだ、試演のその日に。

今日は、その栄誉を讃える日であって、紅天女候補がどちらに決るかという公表の場では無い…

「完敗だもの。もう悔しくもないし、哀しんでもいないわ。私は心から…あの子を祝うつもりで来たのよ」
唇に力を入れてそう言った亜弓へ、そのとき背後から声がかけられた。

「随分弱気ですね、亜弓さん。まだ、紅天女は誕生していないのですよ」

耳に馴染みのあるその声に、亜弓は、ぎくりとして振り返る。

「結果を知る前にそんな事を言っていてはいけないわ…」

自分の師であり、かつて紅天女を演じたその人が、亜弓に微笑みかける。
亜弓は何を言っていいものかと当惑した。

―――月影先生…私は…
いいえ、今何を言ったって…認めてもらえるものなど私には一つもない…

すると月影は、亜弓の心の揺らぎを打ち消すように、熱を込めて彼女に告げたのだった。

「亜弓さんの演技は、素晴らしかった。候補に恥じない最高の紅天女を、私は見届けさせてもらったわ。
 胸をお張りなさい。あなたの全力を出したあの演技はとても誇れるものなのですから」

月影の優しげな声に、亜弓は、ぐっと涙を押し殺す。

「月影先生…先生が、そんな風に手放しで褒めて下さるなんて…」

……いままで、無かった―――

ああ…マヤと闘ってきた私を、認めてくださるの…先生…
本当は、ぼろぼろに崩れ去った自尊心が痛くて、叫びだしたいくらいに苦しかった。
まるでそれを知っているかのように…その眼差しは、とても温かい―――…

「………っ…」

くっと唇を引き結んだ亜弓の肩を、そっと撫ぜて月影は微笑んだ。
「さあ、もうはじまるわ。そんな泣きそうな顔をしていないで、いつものあなたにお戻りなさい」

「…ええ……ええ、先生…」

亜弓の声を聞き届けると、月影は歩を進め、声を掛けてくる人々と会話をかわしながら開幕へと向かう。

亜弓もまた、ぱしん、と自らの頬を両手で叩くと、眉をきりりと上げて凛とした表情で新しい紅天女の誕生に望んだのだった。






式典はいたって厳かに進められ、もったいぶるような司会の口から次々と役名と役者名が読み上げられると、その都度会場内からは大きな歓声があがった。マヤの眼はそんな光景を繰り返し映し続ける。讃える拍手は条件反射のようにマヤの両手を機械的に打ち鳴らさせた。
粛々とした空気と、祝いの熱気が交互に訪れる会場の中で、時折耐える様に唇をかみ締めるマヤに誰一人気付く者はない。
そうして、後は主役とその相手役を残すのみとなり、周囲の視線がマヤと桜小路の元にちらちらと集まり始めた。

「緊張してるかい?」
肩を寄せて桜小路が尋ねると、マヤは大丈夫、と呟いて何気ない素振りで言う。
「桜小路くんこそ、緊張なんてしてないんでしょう?」
桜小路はマヤに微笑みかけながら頷いて立ち上がった。
黒沼の野太い手が、ばしんと桜小路の背を喜びのままに力いっぱい叩く。
一真役の男優の名が、静かな会場内に響きわたったのだ。誰もが予測していた、その名を。

「さ、僕は一足先に行ってくるよ、きっと次に呼ばれるのは君だ」 

マヤは何も言わなかった。桜小路が肩を竦めて、彼女の頬に軽くキスを落とすと、周囲の歓声が一段と大きく響く。
拍手を受けながらステージへと歩む桜小路の姿。それが、マヤの視界でぐらりと揺らいだ。

血の気が、すっと引いていくのが自分でも分かった。

ああ…もうちょっと…
もうちょっとだけ、そのままでいて、私のからだ…



そんなマヤの祈りも虚しく、やがて新しい紅天女へ寄せられた歓声が、即座に驚愕の悲鳴に変わる。
ステージ上へ緩やかに歩を進めたマヤの姿が、掻き消えるかのごとく一瞬のうちに、その場に倒れたのだった。
彼女の名を叫びながら、数人の関係者がすぐさま駆け寄っていく。


赤い絨毯の上に倒れている蒼白な顔色のマヤを、亜弓は不安げな面持ちで見つめた。

……マヤさん…いったい…何が起こったというの…?

先刻、儚いと思った彼女の横顔はすっかり生気を欠いて、今は消えてしまいそうに頼りなげだった。
居ても立ってもいられずにステージへと近寄った亜弓は、意外な人物がマヤを介抱するのを見た。

そこには、血相を変えて彼女を抱き起こし、マヤの名を頻りに呼びかける、速水真澄の姿があったのだ。












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