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雨に沈む雪 2

 

「え…?」

聖の言葉を直ぐには理解できず、マヤの思考は混乱するばかりだった。

「彼が贈ったのは、紅天女の初公演の日に贈られたバラが最後だったのです。それ以降、あなたから預かった伝言も、私は彼に届けてはいない。あなたにバラを贈り続けていた方は、もう何年も前から、あなたにバラを贈る事をやめていたのです」

マヤを見つめる聖の目が、気遣うように細められる。

「こんな話は、ずっと知らない方が良かったのでしょう。告げる気はなかったのですが…」

次第にその内容を頭が理解し始める。毎月、絶えることなく、届けられたバラ。
会う事も想いを告げることももうできないと諦めながらも、それだけで速水さんとの繋がりを感じていた。

冷えた現実が、すとんとお腹の辺りに落ちてきて、体すべての熱を奪っていく。
忘れるための時間が欲しくて、誰にも知らせずに何度も引っ越しをして。
それでも、もしかしたら、という期待は捨てきれなかった。だって、バラは毎月のように届けられたから。ほかの誰かのものになってしまうあの人を、望んでしまう浅ましい自分を変えられずにいた。

だから、真澄が自分のアパートを訪れたあの時に感じた温かな体温は、その結末なのだと思った。
怯えをベールに包んで、無理矢理柔らかな心地のいい記憶に変えようとしていた自分に、突きつけられた結末。

――夢なんて、とっくの昔に、終わっていたのに。
夢を見続けて来られたのは、聖さんの御蔭だったんだ……

「紅天女の初公演からって……じゃあ、二年間、ずっと?ずっと、毎月のようにバラを贈って下さったていたのは、聖さんだったんですか?」
「……ええ、そうです」
「な、何故?私を、哀れだと思って!?そんなの、憐れみにもならないのに……!」

バラが届けられなければ、もう忘れてしまえるかもしれない。

手紙も、まして会う事も無く、このまま記憶の中の彼と過ごしていくなら、忘れた方が楽なはずだ。

そうして住まいをいくつか転々としたところで、バラは届けられる事は無くなったのだった。

それを、逃げたと言われれば、確かにそうかもしれない……けれど……

「あの、ごめんなさい。聖さんに行く先を言わなかったのは、紫のバラの人を忘れたかったからで……自分勝手な願いだと分かっています、でも……できれば、もうそっとしておいて欲しいんです」

「あなたは、それで、いいのですか?」

「ええ。もう終わった事ですから」

瞳を揺らしながらも、そうきっぱりと言いきったマヤだったが。 

「ん?でも、どうして速水さんはうちに来たんだろ?」

独り言のような呟きが耳に届き、聖は思わずくすりと笑う。

「あ、どうして、笑ってるんです?」

「もし聞きたいことがあればご遠慮なくお尋ねになって下さって結構ですよ、何かありますか?」

「えーと、じゃあ、聖さんはどうして今日私を紫のバラの人の所へ?もう私は、紫のバラの人に見限られたんじゃないんですか?それなのにどうして、私にバラを贈り続けて下さったんです?」

終わったことだ、放っておいて欲しい、と宣言しておきながらも、やはり気にせずにはいられないのだろう。
聖は、笑みを大きくしてマヤの方へ身を乗り出す。

「お知りになりたいですか?」

「……え?」

それまでまったく意識していなかったマヤだったが、行つの間にか鼻先が触れ合いそうなほどに聖の顔が間近にあることに気が付いて僅かに息を詰めた。 

隣に座っているのだから当然といえば当然だが、二人の距離はとても近い。

聞きたい事を捲くし立てていて気が付かなかったけれど……近い、近すぎる……ような気が……

そうしてぎこちなく俯いたマヤのまぶたに、羽根が掠めるような感触があった。

マヤの睫に残っていた雨の雫が、聖の唇を湿らせたのはほんの僅か一瞬で、触れたのは車が揺れたせいくらいにしか思っていないだろうマヤを、聖は表情ひとつ漏らさないようひたと見つめる。

そうして優しい仕草で濡れた前髪を整えてやり、その指先をマヤの頬にそっと滑らせた。

「届けに、行きたかったのです。あなたの元へ」

不安そうにしていた小さな少女の頃の面影をなぞるように、柔らかな頬のラインに触れる。

「あ、あの……?聖さん……?」

その視線に僅かな熱を感じ取りながらも、マヤはそれが何か分からずに目の前にある薄茶色の瞳を見つめ返す。

おそらく自分がどういう状況にあるかまるで分かっていない、きょとんとした表情のマヤ。

知らず、聖の瞳に艶めいた笑みが浮かぶ。

「もうあなたに会うことが無いのだと考えたとき、どれだけ深い喪失感に襲われたか……分かりますか?」

「っ、ごめんなさい。そうですよね、急に居なくなったら誰だって心配しちゃうもの」

「誰にでも心配するわけではありませんよ、あなただからです。やっと突き止めたと思えば、もうそこにはいないという繰り返しに私は気が狂いそうでした」

「ええ……何度も何度も引っ越ししたんです。最初はとても綺麗なマンションだったんですけどそこから見える景色があの人を思い出させて、それで早々にまた引っ越ししたんですけど引っ越しても引っ越しても、行く先々で思い出させるような何かがあって。で、出会う前に戻ればいいと思ってあの古いアパートに落ち着いたんです」

「そこには思い出は何もなかったのですか?」

マヤは首を横に振る。

「何回住まいを変えても、紫のバラの記憶は褪せてくれませんでした。結局何を目にしたって思い出しちゃうんだって、やっと気がついたんです」

「おかしな話ですね」

「ええまったくですよね、なかなか気がつかないで無駄なことしちゃった」

「その無駄なことのせいで、私は、あなたの居場所を辿りながら、あなたに会いたいという想いが募るばかりでした」

「え?」

「早く気がついて引っ越すことをやめて下さっていたらよかったのです。そうすれば、私がこんな想いを抱くことはなかったかもしれない」

「ええ。え、それは……あの……」

何と言っていいのか分からず、マヤは口ごもる。

ど、どうしちゃったんだろ、聖さん。
いつもとなんだか雰囲気が違ってて……こんな想いってどんな想い?
あ、私、なんでこんなに顔が熱くなってきたんだろ……

会話が途切れ、じわりと空気が密着してくる気がした。

せり上がるようなむずむずとした感じが、さっきからずっと胸を落ち着かせてくれない。

沈黙と視線に耐えかねて、マヤはタオルの中にもぞもぞと顔をうずめた。


「えーと、その、私、家に帰りたいって思うんですけど……話を聞いたらなおさら紫のバラの人に会いたくなくなったし……」

依然として逃げを決め込むマヤに、聖は明らかに反応を得られるだろう話を切り出す。

「私は、紫のバラの人に尋ねたのです。北島マヤが、誰か他の男のものになってもいいのかと」

あまりに突飛な話に、マヤはむせかえりそうになりながら声をあげる。

「……え!?ええ?ななな、なんで、そんなことをっ?」

「それはあの方がどう答えるのか、純粋に興味を覚えましたので」

「だって!そんなの分かりきっているじゃないですか!私がどうなろうと、あの人にとってはどうでもいい事じゃない!ななな、なんでわざわざ、そんなこと聞いたんです?!」

「でも、気になりませんか?」

「え……ううっ……そ、それは……まあ」

「どうして急にバラを贈るのを止めたのか、知りたくはないですか?」

「そ、それで、速、いえ、紫のバラの人は……なんて答えたんです?」

「そんな事はおまえに関係がないだろう、とだけ」

「そ、うですか……そ、そりゃあそうですよ、そうでしょうとも、うん」

それはそうだ当然だ。なのに、つい、期待してしまった。

「あっ!もしかして……私をからかってるんですか、聖さん」 

「いいえ、そんなつもりはないですよ。私はあの方と、マヤさんが紫のバラの人の元へ行きたいと言うならば引き合わせる事を約束をしたのです」

「……私は、もう忘れたいんです。会いたくなんて、ない」

「いいえ。お会いになられた方がいいと思います。そうでないと、あなたは一生かけてもあの方を忘れることなど出来ませんよ、あの方もきっとそうだと思います」

聖は、タオル越しにマヤの頭をそっと撫でる。 

「きっと、同じ気持ちですよ。あの方も」
 

聖は、先刻マヤのアパートの前にいた真澄の姿を思い出す。

もうこれ以上もどかしい思いをする必要がどこにあるだろうか?
ちょっと挑発したくらいであんなに取り乱すくらいなら、彼女にすべてを告げてしまえばいいものを。

いくら手順を踏んで会わせる場を設けようとしても、それを頑なに拒み、話すらしようとしない。

そうして放り出された紫のバラの責任を、きっと彼らのためになると信じて継いできたのだ。

その末に生まれた感情だというのに、それをあの方に伝えたときの反応ときたら……


「聖さん?」

優しく頭を撫でていた手が止まる。再びタオルから顔をのぞかせたマヤは、聖がまたも彼らしからぬ険しい表情をしていることに気が付いた。

「あの、そんなに紫のバラの人と会うのが難しければ、いいんですよ、別に無理に引き合わせて下さらなくても」

途端に聖のマヤを見つめる目が、冷ややかになる。

ああ、そして、こちらもこちらで。
その思考はすべて彼につながっているのか、その見当違いぶりにどうしようもなく心が波立つ。
はっきりしない男からそうして逃げながらも、いつまで想えば気が済むのか……

「聖さん……?」

恐々と声を掛けるマヤに気付いて、はっと我に返る。
いつの間にか、マヤのタオルの両端を握り締めていた。
そのまま引き剥がして…どうするつもりだったのか。

心の底にある暗く熱を含んだ願望の広がりが、どんどん加速を増していく気がする。
醜い感情を持ってしまう自分に嫌悪を覚えて、気持ちを抑えようとするのだが、油断すると無意識のうちに出てきてしまいそうに危うい。

こんな感情は、もう味わいたくはない。

こわばる頬をなだめ、聖は笑顔を作ってみせる。

「……いいえ、とても簡単なことですから、ご心配はいりませんよ」

今回で、決着を、つけなければ。

嘘のバラが、無くなるように。

 

 

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