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雨に沈む雪1

 


暗く曇った空の下、湿った寒さを纏って冷たい雨が降りしきる。

雨粒はどんどん量を増していき、小さなアパートの屋根から奏でられるバラバラという音が次第に強まっていく。

布団の中で微睡んでいたマヤは、その音が滝のような轟音になった途端に目をぱちりと見開いた。

「うわ、すごいどしゃぶり……」

もそっと起き上がり、窓の方を見る。

「うーん、どうせなら、このまま雪になればいいのになあ」

激しくなる雨音に引き寄せられて窓際まで這い出て、外を覗いたマヤは誰に聞かせるでもなくひとり呟きをもらす。

ここ数年で記憶の限り、雪が降るのを見ていない。
今日なんて雪が降ってもおかしくないくらいに寒いのに。

雪をそうそうお目にかかれない場所に住んでいるのだから仕方がないけれども、それでもいつだったか、景色を真っ白に変えるくらい降ったこともあった。


あれから、もう何年経っただろうか。

マヤはもう何度も思い返した、淡くてほのかに甘い記憶を反芻しながら、ぼんやりと外を眺め続ける。
二階の角部屋であるこのアパートに引っ越してきたのは二ヶ月前のこと。
木枯らしの吹く寒い最中、誰にも知られることなくそれほど多くない荷物を運び込んで一人ひっそりと暮らしている。

紅天女という大役を終えて、暫くはその身を潜めて気楽に怠惰に暮らしたいというのが主だった表向きの理由だ。

この日も何の予定も組まず、好きな時間に眠り好きな時間に起きてはごろごろだらだらと過ごして、気が付けばもう昼過ぎだ。

雨に起こされ、雪を望んで外を眺めるマヤだったが、豪雨がぼた雪に変わるようなこともなく。

「……ん?」

煙るような雨の中、道路の向こうから駆けてくる人影を認めて、マヤはもっとよく見ようと目をこらした。

――こんなどしゃぶりの中を傘も差さないで……一体どんな人なんだろ。

あ、男の人、結構背の高い……

それ以上の情報は収集できず、あっという間にその人物はマヤの視界である窓枠から見えない所へと走って行ってしまった。

――……この近くに住んでる人かなあ。
 

なんか……姿格好が、あの人に似てて……ああ、駄目だ、また思い出してるなあ私……

忘れたい忘れようと思うのに何かにつけ思い出してしまい、マヤは自分に呆れて大きな溜息をついた。

そうじゃなくて。ずぶ濡れ、だよね、今の人、風邪ひいちゃうんじゃないかな?
こんな寒い日に傘もささないで雨に打たれるなんて。

心配する気持ちと一緒に、無茶とも言えるその行動に興味を覚える。

思わずぺったりと窓ガラスに頬を付け、彼の姿を追えないかと、なおも雨の降る中に目を向ける。
そんなしつこい探究心に見切りをつけさせるかのように、玄関のベルが忙しなく数回鳴った。

「はぁいはいはい」

窓枠に手をついて立ち上がると、気だるげに返事をして玄関に向かう。途中でタオルを引っつかむのも忘れない。

「はい、どなた様?」

って聞いてもたぶん麗だろうけど。だって、他にここにくる人なんていないし。
こんなオンボロアパートに住んでるの知ってる人、麗以外にいないもの。

「すごい雨だね、麗」

鍵を開け、誰だか確認もしないで扉を開ける。

「傘さしてても濡れたんじゃない?大丈夫だっ、た…」

顔を上げて、マヤは固まった。
文字通り全身ずぶ濡れで、髪や頬から雫を滴らせて立っていたのはこの上なく思いがけない人物だった。

ほんのさっきまで二度と会うことは叶わないだろうと、その面影を浮かべていた矢先の訪問に、マヤはただあんぐりと口を開けるよりなかった。

「は……」

マヤが驚きに立ちすくんでいる間に、開かれた扉をぐいと開け放って、すらりとした長身を滑り込ませる。
バタン、と扉が再び閉ざされると、狭い玄関に密度が生じた。
数センチという距離に接近した体。雨の雫が、マヤを濡らす。

「ど、どう……し……」

どうしたんですか、とか、どうしてここに、とか、訊ねる間もなかった。
言葉もないままに腕の中に引き寄せられて、息もできない。

冷たい雨に打たれてしとどに濡れそぼった彼の体がそれでもとても温かく、その熱の存在が思いがけなかった。

震えながらその湿った吐息と熱をただ全身で感じるよりすべがなかったが、あまりに有り得ない状況がほんの少し冷静に頭を働かせる。

――あ……さっきの人影は、速水さんだったんだ……どしゃ降りの中を傘もささない変な人……似てるはずだよね、本人だったんだもの……

いまさらながらそう気付いて、雨の中を訪れた彼の身を気づかい、慌てて腕を突っ張って身を放した。

「と、とにかく、そのままじゃ風邪をひきます、あ、タ、タオル……」

慌てて、足元に取り落としたタオルを拾い上げる。
気の動転したまま腕を伸ばして、水滴を含んだ髪にそっとタオルを触れさせた。

――ああ、こんなタオルじゃ、まるで足りないや……

タオルを持った手を下ろせば、真澄の視線がまっすぐに自分へと注がれている。
マヤは真澄を見上げたまま告げられる言葉を待つが、唇は開かれる事はなく、何かを問いたげに瞳が揺らめくばかりだった。

「あ……の、こんなにぐしょ濡れじゃ、タオルなんかじゃ無理ですよね、そうだ、お、お風呂!お風呂沸かしますから!今すぐ!」

そう言ってそばを離れようとしたマヤの腕を、大きな手が掴んで引き戻した。

「え、ええ?!」

真澄はそのまま何も言わずに玄関の扉を開ける。
雨の音がざあっと大きくなったと感じる間もなく、マヤは腕を引かれて表へと連れ出されていた。

「ひゃ、寒いっ」

外に出た途端、思わず身が縮こまる。
上着も羽織らず薄着な上に、さっき真澄に触れて湿った服が外気に触れて冷たさを増す。
あまりの寒さに全身が凍り付いてしまいそうだった。

「ど、何処に行こうって言うんですかっ?こんな雨の中をっ」

悲鳴のようにそう叫んで、ガタガタと震えながら引き返そうと身を捩る。
逃れたいのは、寒さのせいでも、ずぶ濡れになるのを避けるためだけもない。
何も言わず、何も問えず、突然現れてただ力ずくで自分を捕らえるその手が怖くてしかたがなかった。

「せめて、う、上着と、それと、か、傘……傘をささなきゃ、取りに戻……っ」

その声が聞えていないかのように、真澄は怯えて部屋に戻ろうとするマヤの肩を掴み、身動きの取れないようさらに自分の体へ引き寄せた。

「……っな、なんで……?」

マヤは震えながら不安げに見上げるが、真澄は依然として無言のままだ。

――な、なんなの!?いきなり来て、いきなり何も言わないでこんな風に連れていこうとするなんて!

だんだん腹が立ってきて、マヤは震えて歯の根が合わない口を叱咤しつつ真澄に向かって喚きだした。

「ななな、何か言って下さい、速水さん!どういうつもりなんですか?!」

真澄は構わずマヤの肩を抱いて階段を下りていく。

――何をそんなに急いでいるんだろう?何で、何も言ってくれないの?

マヤはうーんと足をつっぱって踏ん張るけれど、力の差は大きく、足がつかずに半ば空を切る形でまるで荷物になったかのように運ばれていく。

「わ、私行きません!どこに連れていこうっていうのか分からないけどっ、速水さんとなんて一緒にいたくないんですからっ、放してー!」

じたばたと手足をバタつかせて暴れるマヤ。その抵抗が効を示したのか、階段を下りきったところで、ぴたりと真澄の足が止まった。

「はは、は、速水さん?」

緊迫した気配を感じて、マヤは顔を上げて様子を窺った。
真澄の視線の先には、アパートの前につけられた、黒い車がある。

「あ……」

そこから降り立った人物を見て、マヤは馴染みのあるその姿に目を細めた。

「聖さん……!」

思わず頬を緩めたマヤだったが、それに応えるいつものような微笑みは聖から返されることは無かった。

「……?」

聖の視線に気押され、マヤはうろたえる。
バラを携えて自分を訪れてくれる彼の顔には、いつも柔らかな笑みがあった。
けれど今、その面影は見られず、冷ややかな視線が自分に向けられている。

「ひ、聖さん??」

――どうしてそんなに険しい顔…聖さんじゃ、ないみたいな…

聖が、静かに問いかける。

「なぜ、逃げたのです?」
「え…私、逃げてなんて…」

聖の声に静かな怒りを感じ取って、マヤは否定の言葉を最後まで言えずに飲み込んだ。

「どうして、私がここに来たのか、分かりますか?」

マヤの怯えを感じたのか、取りなすように短く息を吐き出して、聖は微笑んでみせる。 
けれども、意図して形作られた口の端は歪みを隠せなかったし、冴えた光を放つ目は冷ややかに二人を捉え続けた。

「こんな雨の中で立ち話をする訳にはいきません、さあ、参りましょう」

「えっ?ど、何処へ?」

「私の役目は、よくご存知でしょう?紫のバラの人、その人の許にお連れいたします」

目を見開いて、マヤは傍らの真澄を見上げる。
聖は、ふわりと笑って言葉を続ける。

「お会い、したかったのでしょう?ずっと」

「……ええ、知りたかった。紫のバラの人がどんな人なのか。だけど……」

マヤは困惑して二人の顔を見比べる。真澄も、聖も、どちらも同じように張り詰めた空気を纏っている。

未だ紫のバラの正体を彼らから明かされたことはない。

隠しているものを、自分から知っていたと告げても、いいだろうか……だけど……

――紫のバラの人は、速水さんじゃないですか!

そう言いたくとも、切り出す勇気はなかった。

「私……お会いする事は、お断り、したはずです。きっと、紫のバラの人は、私には会いたくないと思うから……」

一言一言含むように言いながら、マヤは真澄の表情を盗み見る。

真澄は硬い表情に敵意を滲ませて聖の方を向いたまま、マヤの言葉に反応を見せることは無い。
聖は二人の前に歩み寄ると、少し困ったように仕方ないものを見つめる様相で真澄に告げた。

「彼女を、離してくださいますか?お連れしなければならないところがあるのです」
すると、それまで表情を崩さなかった真澄が、わずかに息を呑んでマヤを掴んでいた手に力を込めた。

「……約束を、お忘れですか?速水社長?」

聖が諭すようにそう言うと、掴まれていた肩が離されて、とん、と聖のほうへと押し出される。

「では、失礼」

差し出された聖の手が、マヤの手をひき、そのまま車のほうへと導いてゆく。
真澄がその後に付く様子はなく、一緒に乗るのだと思っていたマヤは驚いて振り向いた。

「は、速水さん?」

去ろうとするその背中を、呼び止めようと口を開きかけた。
それを遮るように、聖が後部座席のドアを開き、マヤを促す。

「さあ、お乗り下さい」
「え、ま、待って!だって、速水さんが……」

表情を変えず、聖は静かに訊ねる。

「何故?彼のことは嫌っていたのでは?どうしてそんなに気にかけるんです?」

「だって……!」

――紫のバラの人は、速水さんでしょう?!

紫のバラの人に会わせると言っていたのに、その当人が一緒に来ないのはいったいどういうこと?
戸惑いを口に出せずにいるマヤに、聖は思い当たったというように頷いて笑いかけた。

「ああ、雨に濡れた彼を心配されているのですか?お優しいのですね?」

目を眇めて、明確な作り笑いを口の端に浮かべる。
ここを訪れてからずっとの彼らしからぬ所作に、マヤはすっかり動揺し、どう接していいか分からず混乱する。

「ど、どうして、そんな……ひゃ!」

動く気配のないマヤを少しも待っていられないというように、聖は先に後部座席に乗り込むとマヤの手を引いて、自らの隣に引き寄せた。
バタンと閉ざされたウインドウの向こうに、立ち止まってこちらを向いた真澄がいる。濡れた髪を纏い、口を引き結び、強い眼差しで見つめている。

――なんで?なんで?どういうことなのか分からない……でも……

「待って下さい、ちょっと、待って!」

あのままいたら、速水さん、ホントに風邪ひいちゃう。
ドアを開けようとするマヤの手を、聖は腕をのばして留めた。

「また、逃げるおつもりですか?」

「逃げるなんて!私、逃げた事なんてないです。どうして……そんな事を」

「誰にも知らせずに居なくなるのは、逃げるのとそう変わりないのでは?そうやってあなたが逃げたせいで……」

言葉を切り、車を出していいのかとミラー越しに窺う運転手に、聖は軽く目配せをした。走り出す車の音に混じって聖の声が遠くなる。

「私は知らせなくても良いことを、今日あなたに言わなければならないのです」

「え……?」

「あなた方は……本当によく似ていらっしゃる」

聖は、眉を寄せて、ふーっと溜息を付く。

「不器用な事は、悪い事ではありませんが」

「え、わわっ」

聖は大きなタオルを広げ、マヤの頭から覆い被せるとその上からくしゃくしゃと濡れた髪を拭いた。
ふんわりとした肌触りは心地よく、吸収の良い繊維が速やかに水滴を吸い取っていくのが分かる。

――うう、なんて用意周到なんだろ、私なんて、さっき速水さんの髪を拭けるようなタオルを持ってなくてちっとも役にたてなかったのに。

「もう、こんなことは終りにしましょう」

彼にしては珍しい、冷えた声に困惑しながら、マヤはタオルの間からそっと怯えた目を覗かせた。
すると、マヤが顔を出すと思わなかったのか、聖は不意にぶつかった視線をすいと背ける。

「終りって……どういう事ですか?」

「あなたを、紫のバラから解放することです」

聖はそれが本題とばかりに、タオルの隙間に両手を伸ばし、マヤの頬を包む。

「知っていましたか?紫のバラを贈っていたのは、私だという事を」

「ええ、いつも聖さんが彼との間を繋いで下さったことを、私、とても感謝して」

「いいえ、そうではありません。あなたにずっとバラを贈っていたのは、私自身なのです」

その声は真摯で詫びるような響きを持ってマヤの耳に届く。

「え……?」
 


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