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雨に沈む雪 3


 


車は薄暗い林道にさしかかり、枯れ葉の敷き詰められた道をぐねぐねと登って行く。

やがて見晴らしの良さそうな山間に立つホテルに到着するが、逃げ出したい思いを抱えるマヤにとって、その造形の美しさなどにはまったく興味は向かず、気に掛ける余裕も無かった。

紫のバラの人に想いを告げる……そんな夢を何度も見たし、期待をしたけれど、それ以上に失ったり傷つくことを恐れ、ずっと怯えてきた。まして、彼には婚約者がいるのだ。
いまさら、なにを伝えて、なにが変わるというのだろう。


「あの、聖さん?感謝の気持ちは以前手紙にしたためてお渡ししているし、お会いしてもご恩を仇で返すような事しかきっと言えないと思うんです……だから、やっぱり、私、帰りたい……」

「会わないことの方が仇返しになるとは思いませんか?それに濡れたままでは良くないでしょう」

「あ、大丈夫です、さっきタオルで拭いてもらったからだいぶ乾いてますし」

「服も髪も湿ってます。時間はまだありますから、とりあえずシャワーを浴びて下さい。風邪を召されては困りますから」

「は、はい……」

ここまで付いてきてしまっては帰る事もできない。マヤは言われるままに聖と部屋へ向かう。

大丈夫、きっと、あの人は来ないもの。いままでだって、ずっと、そうだったんだから……

 

 

 


重い足取りで、マヤがバスルームに入って間もなく。
部屋を訪れた真澄を、聖は心の底から安堵した表情で笑って迎え入れた。

「遅いお着きですね?ここで、お待ち下さるようにお約束していたはずですが」
「……ああ、ちょっと、寄り道をしていたからな」

濡れた髪をかき上げ、真澄は部屋を見回す。マヤを探しているのだろう。
聖は、ふっと笑みを深くする。

「そんなに、正体を知られることが怖かったのですか?それとも……心配でしたか?」
「どういう意味だ?」

渡されたタオルを使いもせず、気持ちの昂ぶりからか落ち着き無く視線を彷徨わせてはいるものの、その眼差しには決意が感じられ、聖をなおさら安心させた。

「彼女に懸想する他の男が近付いていると知って、じっとしていられなかったのでは?まさか、先回りなさるとは……不用意に怯えさせて下さったおかげで私は彼女に付け入る隙を頂きました」

「心にも無いことを言うな……おまえらしくもない、何を考えている?」

「すべて、お伝えした通りですよ」

「……薔薇は、おまえが贈っていたと、伝えたのか?」

「ええ」

「それで……マヤは、何と答えたんだ?」

「それは、ご本人からお聞きになって下さい」

忌々しげに睨む真澄の視線を、聖は涼しい顔で受け止める。
 

もとはといえば、自分の感情に不器用なまま背中を向け合い、別の道を歩もうとしている真澄とマヤを繋ぐために、贈り続けたバラだった。
素直に自分の想いを認めないままでいるのが、彼らだけではないと気が付いたのは、マヤの行方が分からなくなって暫く経ってからのことだ。
会えない日々、感じたことのない焦燥は、二人を引き合わせられなかった自分への苛立ちに違いないと思っていた。
そうではないと気が付いて、一筋、二筋と暗い影が差し込み胸を締めあげても、それを認める訳にはいかないのだ。


「初めてですね、こういった場へお越し頂けたのは」

どんな結末でもいい。

踏み出して欲しいと願い続け、やっと巡ってきたその時に、聖は喩え様も無い熱さを胸に感じていた。

 

 

 

 

 

「ふあああ……気持ちいい~」

マヤは生き返ったとばかり、温かい飛沫に打たれて心地よさに息を吐き出す。

「はぁぁ……」

――ここまでついて来ちゃったけど……この後、どうなっちゃうんだろ。

……速水さんは来るのかな……さっきあんな別れ方したのに、会いに来てくれるとは思えない……
さっきの聖さんの話を聞いたら、余計にそう思ってしまうけど……

塞いでいく胸に、マヤは眉を寄せた。
心地良かったお湯の熱さすら次第に苦しく感じて、シャワーを止め、タオルを体に巻いて、もう出ようと思う、のに。

涙がにじんできて、拭っても拭っても溢れてきてしまう。

こんな泣き顔のまま戻ったんじゃ、聖さんに気を使わせてしまうかもしれない。

……終わった事だって、諦めなくちゃ。

そうだ……速水さんは、もうずっとバラを送ってくれては、いなかったんだ……
紫のバラの人は、その間、夢を壊さずに贈ってくれていた聖さんだ。
今改めて自分が感謝を伝えるべきなのは、彼へなのかもしれない。

胸が軋むけど、仕方ないんだ……私も、ずっとバラが届くのをいいことに、夢を見続けていたんだもの。



「……マヤさん?」
「!!」

心臓が超速で跳ね上がる。
バスルームの扉の透りガラス向こうに、人影がうつる。

「着替えはここにありますが……着ていた服はクリーニングにお出ししますか?」
「ふわっ、はい!いえ、いいです、たぶんすぐ乾くと思うのでっ」

――び、びっくりしたっ、急に声かけられて驚いちゃった……っ

マヤは涙を拭うと、人影がないのを確認してからバスルームの扉を開く。

――着替え……は。

「バスローブ……」

なんとなく気恥ずかしいような感じはするけど、深く考えないようにしよう……服が乾くまでだけだし。
マヤはささっとそれを着てしまうと、髪を乾かし、そおっと部屋を覗く。

「……聖さん?」

声をかけてみるが応答がない。

聖の姿が無いことに、なんとなく、ほっとしながら、室内をぐるりと見まわしたマヤは、別の衝撃に打ちのめされる。

「…!!」

マヤは声も出ないほど驚いて、身じろぎも出来なかった。

ただ早鐘のような鼓動が、頭の中にまでがんがんと響いてくる。

意識は真っ白で、どれくらいそこに立ち竦んでいたのかも分からなくなる。

把握できないまま、こちらに歩み寄ってくる彼の名前を、マヤはやっとのことで口にした。


「速水、さん……」

 

 

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