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――寒いと思ったら……やはり……
雨は、いつの間にか些雪になって小さな羽虫のように頼りなくふわりふわりと風に舞いながら降っている。
これなら、傘をささなくても大丈夫そうだ。多少濡れるだろうが、今はそうして歩きたい気分だった。迎えの車は、気が向いたら呼べばいい。
聖は濡れ落ち葉を踏みしめた足を止め、空の色を眺める。
――今頃は……今度こそお二人はお互いの想いを確かめ合って……
「聖さん!聖さーん!!」
「?!」
声が聞こえた気がして、振り向く。道の向こうから駆け寄ってくるマヤを認め、聖は呆然とした。
「ご、ごめんなさい……何かたそがれてるの邪魔しちゃって……あの、聖さんも、帰るところですよね?」
「……マヤさん?」
自分を追いかけてきたらしいマヤを、聖は信じられない思いで見つめる。
「どう、されたのです?真澄様は……」
「もう!あんな人、知りません!いつまでもぐじぐじ一人でやってればいいんだわ!」
「……ああ」
すっかり優柔不断が板についてしまわれて……あの方は本当に、この肝心な時にまで、いったい何をしているのか。
「私、速水さんが紫のバラの人だったって、本当は随分前から知っていたんです。バラじゃなくて、速水さんを好きだって、伝えたんです。だけど駄目みたい。気持ちが通じないんです」
「そう、おっしゃらず……真澄様は、あなたが大切すぎて恋に不器用になられているのですよ」
「いいんです、分かってるんです。速水さんほどの人が私のことなんて、好きなはずないですよね」
「そんなことはありませんよ、今頃きっと後悔なさっているに違いないですから」
何を言われて、何を言ったか、聞かずともなんとなく分かってしまう。
聖はマヤを宥めようとするが、マヤは聞く耳を持たなかった。
「好きだったら、何年も放っておくようなことはしないでしょう?からかいたいだけなんですよ、きっと」
「……え…」
「紫のバラも、ほんの戯れで始めた事で、私の事なんて……ほんの少しも好きになんて…っ!」
「ま、マヤさん……?」
ああ……こっちにも、いつものごとく厄介なスイッチが入ってしまった……
「でも、好きなんです……紫のバラの人……!速水さんが……!」
「ええ、よく。よーーーく存じ上げておりますよ……」
「だからこそ、もう忘れたいんです」
「ええ、それが出来れば苦労はしないんですが」
聖の声にいささかうんざりとした響きがこもるが、マヤは気が付かない。
「そういうわけで、聖さん、ホント申し訳ないんですけども…お願いです、私をアパートまで送ってもらえないでしょうか?ここ、何処なのか分からないうえに何も持たずに来たので帰れなくて……」
「いいえ。お送りすることはできません」
「えっ」
「お戻り下さい。そうして真澄様に 根 気 強 く お気持ちをお伝えして下さい。あなたならきっとできるはずです」
「え、ちょっと、ま……」
ぐいぐいとすごい勢いで背中を押されて、来た道を帰される。
真澄のいる部屋の前まで戻ってくると、葛藤の末、マヤを追う事にしたらしい真澄が、ちょうど着替えて出てきた所だった。
これはいいタイミングだとばかりに、聖は二人まとめて素早く部屋へと押し込める。
「送迎は朝まで必要ないでしょう。頑張って下さい」
閉まる扉の影から、にっこり作り笑いで冷ややかな眼差し。マヤは、はっと息をのんだ。
――あっ、迎えに来た時の聖さんの顔だ……!
「ひ、聖さん、なんだか、怒ってたみたい……」
「ああ、怒っていたな……あれは確かに」
「どうして怒ってるんだろ?」
「さあな」
そんな事は決して言うものか、と真澄は思う。
「それはそうと、ちびちゃん、その服、まだ乾いてないんじゃないか?」
「速水さんのほうこそ。クリーニングに出さなかったんですか?」
「出したら着替えがないだろう」
「私だってそうです」
「……」
「仕方ないな」
「……仕方ないですね」
「……」
会話の合間の沈黙が。
「……速水さん?」
そっと見上げれば、同じ想いを抱いているだろう真澄がこちらへ手を伸ばす。
「寒いだろう……?」
濡れた服は脱いだ方がいい、そうゆっくりと動く唇が、近付いてくる。
温かく柔らかに引き寄せられ、マヤは首筋に真澄の手のひらが絡むのを感じながら、緩やかに目を閉ざした。
確認するように何度も触れ、唇で唇をすくいあげては熱を増していくキスに心を奪われ、愛おしさで胸が苦しくなる。
息をついて仰け反り、逃れるように上向いても、逃がしてはくれず余計に口付けが深くなるばかりだった。
わずかに濡れた音をたてて唇が離れると、ゆっくりとした動きで胸の中に抱き込まれる。
そうして初めて聞く耳元の甘い囁きに、マヤは頬を染めてこくりと頷いた。
長い間見ていた夢の続きに辿り着いて、生まれてはじめての至福を分け与え合って。
意地を張ることも、時を気にかけるわだかまりも、触れ合う体温に溶けて消えていく。
この日マヤが雪を望んだ心は、激しい雨の記憶に沈んで、暫くの間浮かび上がる事はなかった。
END
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