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陰影1




別段、疑問に思わない。

役に立つのなら、それでいい。


だから、孤独だとは思わなかった。







助手席から薔薇の花束を掴み、車から降り立つ。

「こんにちは」

紫色のバラを携えて、彼女の前に姿を現す。

私に気がつくや嬉しそうに微笑みかけてこちらへ駆け寄ってきた彼女だったが、何かに気がついて表情が一変する。

最初は急くように大きかった歩幅が、だんだん小さくなり、戸惑う声と共に私の前で立ち止まった。

「あなたは…『松本』さんなんですね…」

「ええ、そうです。残念そうですね。『聖』のほうが、よろしかったですか?」

「い、いいえ!そんなことは…」

薔薇を差し出し、くすりと笑う。

「あの方は、今日も気がつきませんでしたよ。あなたは、すごいですね」

「は…そう、なんでしょうか」

薔薇を受け取る腕が、緊張にこわばっている。

そんなに萎縮しなくてもいいだろうに。

「私が、怖いですか?」

「そ…そんなことは…」

「そんなにおびえなくてもいいのですよ、マヤさん。あなたに危害を加える気はありません」

薔薇を持つ手に力が篭っている。言っていいのかどうか、迷っているのだろう。

「あの…止めていただくことはできないんでしょうか…復讐なんてあなたにとってもいいことじゃないと思うんです…」

「それは、あなたの立場からの意見でしょう。それに、私は復讐をするわけじゃない。私の場所を取り戻すために生きているのですから」

「で…でも、あなたが目的を果たしたら…聖さんは、どうなるんでしょうか」

「ああ…そんなことを心配されているのですか。何も、変わることはないのです。聖唐人という存在はこの世からなくならないのですから」

言葉の通じない悲しい人間。

互いを見つめ、同じ事を相手に思う――










薔薇を持って、初めて彼女の前に姿を現したのは先月のことだ。

「うわあ…すごい…!」

興奮のあまり、その頬が紅潮している。

「ごめんなさい、私の知っている人と、あんまりそっくりで驚いちゃって…もしかして、ご兄弟とか?」

私は驚きに目を見開いて、彼女の顔をまじまじと見つめた。

あの方ですら、気がつかなかったものを…こんなにあっさりと見抜くなんて。

もとより引っかかりもしないとは…思いもしなかった。

それくらい、私と「聖唐人」は「同じ容姿」をしているのだ。

今まで誰にも見破られたことはない。

もっとも、接触する人間はごくごく限られた数しかいないのだが。

『何を言っているんです?私は、いつものようにあなたに紫のバラをお届けに伺ったのですよ』

冷静さを装って口を開きかけたが、自分の発言に何の疑いも持たない彼女の目を見て、それがまったく無駄なことだと知る。

「…そんなに、違いますか?」

口調も声も、少しの違いも無いはずだ。

「いいえ!背格好顔形もうそっくりで!まるで本人としゃべっているみたいです…!」

それで、どうして別人であるとわかるのか。

『本人』という言葉に頬が歪みそうになるのを耐えて、続ける。

「あの方は、気がつきませんでしたよ。彼に成りすまして嘘の報告をしましたが、まったく疑いもしませんでした。この薔薇も…平気で私に託されたほどです」

大切な相手へ贈る、秘めた薔薇。

「成りすます?う、嘘って……」

この薔薇が、長い間、速水社長とこの女性を…聖とを繋いでいたのだ。

「あなたの言うとおり、私は聖唐人の血縁者です。入れ替わって遊んでいるのですよ、時々…ね」

「そんなにそっくりということは、双子のお兄さんなんですよね?」

「いいえ…違いますよ。ああ、あなたの所為で、少しだけ、予定が狂ってしまいました」

薔薇を渡す際に、花々の隙間から封筒を抜き取ると、指先に力を篭めて真っ二つに破り去る。

「あっ!」

びりびりと細かく破かれていく紙片に、彼女は怒りの表情を浮かべる。

「なっ、なんてことをするんです!?」

「心配しなくても、この手紙は私があなたに渡そうと思って書いたものです。あの方からあなたに宛てたものではありませんよ」

「あなたが…?私に?」

「ええ」

あの男が、欲しくても決して手にいれない女性。

裏切ることの出来ない立場。あの男は、主を裏切る気はない。

私には理解の出来ない感情だが、都合がいい。


焦る事はない。

欲しければ、奪わせてやろう。 

主を裏切ることなく、彼女を手に入れられるように。

そうして、私は、自分の場所を取り戻すのだ――

「あの…聖さん?それは、どういうことなんでしょう?」

「私は、聖ではなく、松本という名です。今日入れ替わっていたことは、どうか誰にも言わないで下さい。聖にも、決して言ってはなりません」

「え…な、なぜ…?」

「口外してしまったら、あなたは紫のバラの人との橋渡し役の男を、永遠に失ってしまいますよ」 

彼女の戸惑いに、怯えが混じる。脅しとも取れる、得体の知れない男からの言葉に、彼女は不穏を感じている。

「私の存在を、聖唐人は知らないのです。私は、このまま、あの方の影として、あの男に成り代わるつもりなのです。あなたが下手にそれをばらせば、聖も私もあなたにあの方のバラを届けることは出来なくなってしまいますよ」

「どうして…」

すべてを理解できるはずもない。私は、彼女に笑いかける。

「あなたが私を、別の人間だと見抜かなければ、よかったのです」

理不尽な事を言う自分が、ひどく可笑しい。

「ですが、別人だと知ってしまったからには仕方がありません。以後、私のことは、今まで通り、聖として接して下さい。そうすれば、私はあの方の使いとしてあなたにバラをお届けし続けることができるのです」

「あ、あなたは…いったい…」

あくまでも、影の存在として。
 
影の存在にも、そこで生きていく居場所がある。


「私は、『聖唐人』です。あなたにとって何も、変わりはありませんよ、マヤさん」

 

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